2017/06/01

旧街道・途中坂(仮称)の探査行

旧街道・途中坂(仮称)の探査行
〇 日程:2017年5月2日(火)
〇 目的:旧道・途中坂(仮称)の探査
〇 山域:途中の裏山(花折峠の西に連なる山塊)
〇 西原清一(単独行)
〇 天気:晴れ


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古道を歩くと、かつてこの道を歩いた人々の声が聞こえるような気がする。重い荷物を背負った若者の息遣いが聞こえる。そして、それは他ならぬ若い日の自分自身の声に重なってくるのです。

このたび、気にかかっていた古道の探査を行いました。
まず、添付の概観図 “map1” をご覧ください。
縦に走る2本の橙色の線が目につきますが、これらは小浜と京都を結ぶいわゆる鯖街道です。この2本以外にも、東には琵琶湖岸に沿う西近江路、西には雲ケ畑経由、周山・山国経由、高浜街道など若狭と山城(京都)を結ぶ鯖街道が数本並行して走っています。
近年、これら鯖街道が広く知られるようになりましたが、鯖街道同士を横に結ぶ街道もまた興味深い。
たとえば、若狭(闇見神社 くらみ)と北近江(酒波寺 さなみ)を結ぶ近江坂、由良川沿いの旧美山町の道、などがそうです。南へ下ると、大堰川(桂川)沿いの周山京北の道や、鞍馬・静原・大原を結ぶ洛北の道などもそうです。これらは、鯖街道を縦糸とすれば、それを横に綴る横糸の街道と言えます。また、朽木の針畑川から朽木市場方面へ出る峠群も鯖街道を横につなぐ道と見なすことができます。
大まかに言えば、縦糸は、鯖(海産物)や木地(日用品)などの物資運搬の道、産業の道です。これに対して、横糸は、社寺への参拝や姻戚関係などで結ばれた人の道、交流の道、宗教の道です。
昔の街道は、商人や庶民、そして、戦の兵や歴史上の人物が時代に翻弄されて通ったのですね。
個人的には、人の気配や生活の匂いのする横糸に強く惹かれます。

話を本論に戻して、概観図 “map1” をもう一度ご覧ください。
2本の鯖街道を横切るように大布施(左上)から途中(右下)へと走る道があります。緑と赤で描かれています。赤色の線が、この度の調査行で確認できた部分です。
以前から、ヒノコからミタニ峠に至る道は、深く溝状に掘れた立派な道なのに、その先がどこにつながっているのか不明でした。ミタニ峠から見谷を下るのは不自然。見谷には交通の道はないとされており、また地勢的にその意義が見出せなかったのです。
一方、途中(龍華橡生とも称す)は古来、重要な交通の要衝です。途中からは北へ小浜・敦賀を睨む街道が、南へは大原・京都に至る街道が岐れています。また、途中の東は、比良連山と比叡山北尾根という2つの長大な山脈に穿たれた自然の通路とでも言いたい隙間を形成しています。和邇川沿いに近江・びわ湖、さらには堅田から水運により東国へも容易に展開できます。
ということで、もしミタニ峠と途中の間に古道が確認されれば、その意義は明らかになります。その古道をここでは仮に「途中坂 とちゅうざか」と呼ぶことにします(「途中越」とすると途中トンネルの南の“途中峠”と混同されやすい。むしろ、「近江越」がいいかも)。その途中坂の意義は、端的に言って、周山・山国を擁する “丹波” と “近江” (さらに、敦賀街道と大原街道)を結ぶ街道と見なせるということです。
実際、今回確認した途中坂(赤線部分)を記入した概念図を見ると、丹波の大布施と途中の間は、大布施~小野谷峠~大見~ヒノコ~ミタニ峠~途中と辿る約2里のほぼ一直線の緩やかな道となります。
途中は、比叡山から葛川明王院の中間に位置する天台の要所です。丹波と近江を繋ぐ街道、しかも宗教の道という側面が浮かび上がってきます。花脊から百井に嫁いできた人を知っています。同時に人の交流の道でもあるのです。

今回確認した古道は、地理院地図 “map2” の赤線で示す約2kmの部分です。
ミタニ峠から尾根通しで延びてきた道は、P812の東50mの尾根を乗っ越した後、東南の支尾根上を走る、深く掘れた道でした。かなり荒れていますが、添付写真に見るように、街道としての風格が感じられます。
丹波から東へと近江を目指すとき、皆子・峰床の山塊、さらにその先に立ちはだかる比良・叡山の連山の壁を越えるのは大変な苦労です。
花折断層が偶然に形成する間隙を縫って近江に抜ける途中坂は、ほとんど唯一といえる楽な作道部分です。周山や広河原の集落の交通を大布施でまとめ、交通の要衝である途中へと繋ぐ街道であることの証左として納得できました。
 今回の調査で、丹波(山国・周山・京北)と近江(交通の要衝である途中)を結ぶ街道の存在が明らかになったと思っています。(西原 記)


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